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執筆者の写真Yuri Mayoko

あいまいな境界線

更新日:2020年5月5日



告白すると、わたしは実は人とつるむのが好きなほうではなく、基本的には孤独をとても愛してるのです。。


絶対的な自分の世界というのがどうしてもあって、人との価値観の違いを小さい頃から感じては、そんな自分の価値観を死守すべく、たった一人の時間というのが絶対必要でした。そしてそれを尊重してくれる親に育ててもらったんだと今にしたら思う。


わたしの母は幼い頃に両親を亡くし、小学3年生から一人暮らししてたくましく生きてきた人で、小学生のまんまの感性で大人になったような人でした。おかげで、あまりわたしへの親目線での介入があまりなく、早いうちから対等で、大人のように尊重して接してくれてたんだな、と振りかえって思う。小さい頃から何でも自分で決めさせてくれてた。



とにかく、そんな基本的には内向的な自分が孤独を守りながらも、人とはよくやってきたほうかと思う。


(内向的でも根っこの性格は明るいですよ)


接客業という職業に就いて、それがリハビリのようになったのがよかったかもしれない。


しかも、初めて勤めたサロンは大阪ミナミの吉本の芸人さん達御用達のお店で、散々トークのダメ出しを受けながら「笑いとは」という修行もさせてもらいました。


「笑い」は間(ま)。

で、間(ま)=時間や距離感や空気感みたいなものを学ばせてもらいました。


そこは間髪入れずとか、たっぷりの間をとってとか、距離感近づいたり急に引き離したり、そういうコントラストが面白さなのだなぁというようなこと。。


そして、芸人さん達って実は孤独を愛する人も多くて、人との境界線をあいまいな感じで保ってる人がわりといらっしゃいました。


わたしも絶対的な自分のスペースというのがあり、そこを守りながらの人との付き合い。これがベースにあるので、人は好きだけれども、いつもいつも人といてというよりも、自分の世界に戻る時間が必要だと感じている。


かといって人間嫌いというのではなく、どちらかというと人が好きなんだけれども、そこにはあいまいな境界線というものを常に存在させていたいのです。


それははっきりとした境界線でなく、時に近づいたり離れたり、その瞬間瞬間で超えたり引いたりする、絶妙な「間」を常に楽しむみたいなこと。


そして基本は自分というひとりの人間に戻る、自分でいるということが自分にとっては大切です。


今は娘と二人暮らしだけど、そんな感じで接してると、とてもいい距離感とわたしは感じてる。


娘はどうかと思うけど、よそのお家にお邪魔して帰ってきたらいつも、「うちほど仲のいい親子ってないよなぁ」って言ってくるから、ああ、娘はそんな風に感じてるんだ、って思う。



すでにわたしの両親は早くに他界し、わたしは離婚もし、肉親といえば、血の繋がった弟とひとり娘、家庭運というのが薄いのかもしれない。


そしてクール。それは自分でそう思う。


そんなわたしが血縁を超えて助け合う、人とのつながりが大切とコミュニティ作って自給的に生きる活動してるけど、でもそこにはあいまいな境界線、距離感、間合いのようなものがあるほうがいい、と思っているのだけれどみんなはどうなんだろう。


またみんなに聞いてみようと思います。

ぜひご意見聞かせてくださいまし。


〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

自然循環の調和のなかで生きる「はからない生き方」

それは、最善へと導かれる「なるようになる世界」

自然循環のなかで、地球とともに生き、助け合いの「結の心」でつながる、血縁を超えた共同体・コミュニティで、田や里山の再生、土を育て森を育てる地球環境を改善していく活動を共にしませんか。。

自然の循環に沿った暮らしを日常に。



Yuri Mayoko 自然療法美容師です。

代官山のアーユルヴェーダサロンでサロン活動しています。

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